ヨシ(葦)
概要
ヨシ(葦)は、イネ科の多年草で、主に河川や湖沼の水辺に背の高い群落を形成します。
和名「ヨシ」はもともと「アシ」でしたが、「悪し」に通じるため、「ヨシ」と呼ばれるようになりました。
日本の在来植物であり、平安時代までは「アシ」と呼ばれていました。
表記:芦、蘆、葭、よし、あし、アシ、リード、ロゾー、パピルス
イメージや象徴
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ヨシ(葦)には、「キリストの受難」「信仰深く謙虚な民衆」「他人の言動に左右される」「か弱い」「牧神パーン」「船」「美しい情景」などのイメージや象徴的な意味があります。
キリスト教・聖書におけるイメージ
キリストの受難
葦は頑丈で軽く歩行用の杖として使用されることもありましたが、聖書では「人間の弱さ」の象徴として語られることがあります。
葦は、いばらの冠、釘、脇腹を突き刺した槍、酢などと同じく「キリストの受難」を表す道具「受難具」の一つです。
イエスが十字架に磔にされる刑場に向かう際に、葦が登場します。
兵士によって赤い外套を着せられ、聖笏を模した葦の棒(もしくは笏)を持たされ、いばらの冠を頭にかぶり王の仮装をさせられたイエスは、「ユダヤの王、万歳!」と群衆に嘲笑され、葦の棒で頭を叩かれました。
また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。
マタイによる福音書 27:29-30
イエスが十字架に架けられる際に、いばらで冠をかぶり、葦の棒を手に持たされる場面です。
これは受難と侮辱を象徴しており、イエスが人間の弱さを受け入れる過程を示しています。
するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
マタイによる福音書 27:48
十字架にかかったイエスが息絶える少し前に、群衆の一人が葦の棒の先のスポンジ(海綿)に酢を含ませ、それを喉の渇きに苦しむイエスに飲ませようとしたエピソードです。嘲笑もしくは憐みのために酢を飲ませたと言われており、ここでもイエスの受難と苦しみを表しています。
彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
イザヤ書 42:2-3
また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
この箇所では、主は傷ついた葦(人間)を折ることなく、葦を気遣う主の優しさを表しています。
葦は「嘲笑」や「受難」の象徴ですが、一方で神の手の中の葦は、神の手によって癒される人間や、主によって導かれる真実・希望など「美しい信仰」を表すとも考えられます。
信仰深く謙虚な民衆
このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。人がおのれを苦しめる日であろうか。そのこうべを葦のように伏せ、荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。あなたは、これを断食ととなえ、主に受けいれられる日と、となえるであろうか。
イザヤ書 48:5
この一節では、断食について単なる外見上の儀式的な行為だけでなく、心のあり方や他者への愛に焦点を当て、神に対する真の礼拝の姿勢を強調しています。
「葦のように伏せ」という言葉で、信仰深く謙虚な民衆の姿を表しています。
モーセの海割り、葦の海の奇跡
旧約聖書に登場するモーセの奇跡の一つに、「葦の海の奇跡」があります。
葦の海(Sea of Reeds)は、エジプトのある北アフリカとペルシア半島に挟まれた南北に細長い湾で、現在の「紅海(the Red Sea)」を指すと考えられています。
物語によれば、イスラエル民族はエジプトからの解放を求めて荒野を進んでいたが、進行方向をエジプト軍に封鎖され、絶体絶命の状況に直面していました。
モーセは神に導かれ、杖を振るうと、葦の海が奇跡的に分かれ、イスラエル民族はその乾いた地を通って進むことができたとされています。
一方で、エジプト軍は分かれた海の水に包まれ、撤退を試みたが逆に押し戻され、結果として多くの者が水没したとされています。
この奇跡は、神によるイスラエル民族の救いを象徴的に示す出来事であり、またエジプト軍に対する神聖な制裁として描かれています。
他人の言動に左右される
「風にそよぐ葦」や「風に揺れる葦」は、他者の言動に左右されることを否定的に表す場合があります。
ヨハネの使が行ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。
マタイによる福音書 11:7
イエスがヨハネのことを話す中で、「風に揺らぐ葦であるか」という表現は、人々がヨハネに何を期待して荒野に出てきたのかを問いかけています。
この箇所の葦は「人間の弱さ」や「流されやすさ」を表しており、「風にそよぐ葦」は権力者の言うままになる、定見のない者の喩えにもなりました。
か弱い、傷つきやすい
葦は、風に揺れ動くことから、影響や状況に左右されてしまう「か弱い存在」「傷つきやすい存在」であるというメタファーが込められている場合があります。
「人間は考える葦である」という有名な言葉を残した17世紀の哲学者、ブレーズ・パスカルは、風に揺れる葦を「le plus faible de la nature(自然界で最もか弱い存在)」と考えていました。
「人間は考える葦である」という言葉は、人間は葦(あるいは葦の茎)のように傷つきやすく、か弱い存在であるが、物事を理解し、自己を知る能力を持つ存在であることを示しています。
ギリシャ神話の葦
ギリシャ神話には、葦について有名な話があります。
ある日、太陽神アポロンと牧神パーンがどちらの音楽が優れているかを競うことになりました。
笛の音色を聴いたミダス王は「パーンの葦笛の音色の方がアポロンより素晴らしい」と言いました。
しかし、ミダス王以外の者は全員アポロンに票を入れたため、ミダス王は「アポロンは不正をしているのではないか」と疑いました。
怒ったアポロンは、ミダス王はの耳をロバの耳に変えます。
この話は「王様の耳はロバの耳」という有名な教訓としても残っています。
ロバの耳になったミダス王は、恥ずかしくて頭巾をかぶって耳を隠すようになります。
側近たちの誰にも耳のことは秘密にできましたが、ミダス王の髪を切る床屋だけは例外です。
床屋は「秘密を漏らせば殺す」と王に約束されていましたが、絶対に言うなと言われると誰かに言いたくなってしまうもので、穴を掘りこっそり「王様の耳はロバの耳」とささやきました。
すると、その穴の場所から葦が生え、風が吹くと葦が「王様の耳はロバの耳」とささやくようになり、ミダス王の秘密が皆に知られてしまいます。
最終的に、ミダス王は床屋を許し、その寛大さを認めたアポロンが王様の耳をもとに戻してあげるというエピソードです。
ちなみに、牧神パーンについては後世に影響を深く残しており、牧神パーンは混乱と恐怖を突然もたらすことがあったため「パニック」の語源になったり、牧神パーンの姿はキリスト教文学や絵画に描かれるインキュバス(男性型夢魔)のイメージになったりもしました。
葦の船
葦で編んで作ったり、葦を縄で束ねただけの原始的な船(葦船)は、ヒトの歴史において最古の船と言われています。
現在確認されている最古の葦船は7000年前の遺物で、葦船は古代のエジプト・インド・中国などで用いられていました。
葦船が登場する代表的な物語をいくつか紹介します。
赤子のモーセを守った葦船
旧約聖書の『出エジプト記』では、赤子のモーセは、ファラオによるヘブライ人の男児殺しから逃れるために「パピルスのかご」に乗せられ、ナイル川に流されました。
ファラオの王女によって拾われ、この時に(ヘブライ語で「引き上げる」という意味の言葉にちなみ)モーセと名付けられます。
この「パピルスのかご」が「葦の小船」と訳される場合があります。
※葦とパピルスの違いについてはこちら
水蛭子神を捨てる時に使った葦船
『古事記』によれば、水蛭子神(ヒルコ)は、伊耶那岐命(イザナキ)と伊耶那美命(イザナミ)との間に生まれた最初の神です。
しかし、水蛭子神は生まれつき身体が不自由であったため、葦の船に乗せられ、海に捨てられてしまいます。
諸説ありますが、ヒルのように手足が異形であったため捨てられた、穢れを払う禊のために海に流されたともの言われています。
流された水蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っていますが、日本神話にもほとんど登場しないため「不遇の神」として捉えられています。
詩的・芸術的な風景
葦は、詩に詠まれたり、絵画に描かれることがあります。
葦が生い茂った池や、風に揺れる葦は、美しい情景として物語に登場することもあります。
また、日本では「葦手絵」という平安時代に始まった装飾書体があります。
揺れる葦のように文字を変形して、葦や水鳥などになぞらえて絵画的に書きます。
葦手絵は、もともとは和歌を書くための書体ですが、「へのへのもへじ」などの文字絵の起源になったとされています。
花言葉
ヨシ(葦)の花言葉には、「考える」「深い愛情」「従順」「神の信頼」「哀愁」「音楽」などがあります。
関連作品
ヨシ(葦)が、モチーフやシンボルとなった作品を紹介します。
葦笛の踊り(楽曲)
ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーが作曲したバレエ音楽『くるみ割り人形』の中に、『葦笛の踊り』という曲があります。
フランス語では『Danse des mirlitons』で、おもちゃの笛「ミルリトン」が踊ります。
葦の中のパーン(絵画)
風にそよぐ葦(小説)
社会性の濃い風俗小説の先駆者である石川達三の小説。
「君のような雑誌社は片っぱしからぶっ潰すぞ」――。
開戦前夜から戦後の日本国憲法施行に至るまでを時代背景に、出版社・新評論社の社長の葦沢悠平とその家族の苦難を中心に描いた社会小説の名作。
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