実はキリスト教『聖書』が由来!「豚に真珠」のことわざ

「豚に真珠」ということわざは、価値を理解しない者に貴重なものを与えても無駄であるという意味を持っています。

この表現は、実は新約聖書の一節に由来しています。

目次

マタイによる福音書

以下がその引用です。

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。

恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

マタイによる福音書 7:6(JCB 聖書)

聖書の「豚に真珠」の意味

「豚に真珠を投げるな」という言葉は、イエス・キリストの説教の一部です。

この説教の中で、イエスは群衆に対して判断と叱責について教えていました。
具体的には「人を裁くな、そうすればあなたがたも裁かれることがないだろう」(マタイ7:1)、「まず自分の目から梁を取り除け、そうすれば兄弟の目からちりを取り除くことができるだろう」(マタイ7:5)といった教えです。

この教えの中で、イエスは「判断」と「識別」の違いを示しています。
私たちは偽善的な裁判官にならないようにしつつ、識別力を持って行動する必要があります。

つまり、価値のないものに貴重なものを無駄に与えないようにしなければならないということです。

なぜ「豚」なのか

イエスが「豚」を比喩として使ったのは、当時の文化において豚は「価値のないもの」や「不浄なもの」の象徴とされていたためです。
豚のイメージや象徴的な意味については、このページを参照ください。

他にも、ペトロの手紙二 2章22節に次のような言葉があります。

ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。

ペトロの手紙Ⅱ 2:22(JCB 聖書)

ペトロの手紙二は、新約聖書に含まれる書簡の一つです。
この書簡はイエス・キリストの使徒ペトロが死を目前にした状況で書いたという体裁を取っています。
主な内容は、偽教師たちが説く偽りの教えを攻撃し、最後の審判がいつ来るのかと揶揄する不信心者たちの誤りを指摘し、正しい信仰を堅持するように説いています。

現代における「豚に真珠」

このことわざは、現代でも多くの場面で使われます。
例えば、専門的な知識や高価な贈り物などを、それを全く理解しない人に提供しても、その価値が伝わらないどころか、無駄になってしまうという意味で使われます。

現代においても、この表現は頻繁に使われますが、ネガティブなニュアンスが含まれているため、特に人に対して使用する際は注意が必要です。

相手に対して「価値を理解しない」という否定的な評価を含むため、不必要な誤解や感情の衝突を避けるためにも、慎重に使用することが望まれます。
日常の会話やビジネスの場での使用は控え、適切な場面や相手を選んで使うことが重要です。

まとめ

「豚に真珠」ということわざは、価値を理解しない相手に貴重なものを与えても無駄であるという教訓を教えてくれます。

その起源は新約聖書のマタイによる福音書にあり、聖なるものや真珠を犬や豚に与えることの無意味さを戒める言葉から来ています。

この教えは、古代から現代に至るまで普遍的な真理として、私たちの日常生活にも深く根付いています。
価値あるものを本当に理解する人に与えることの重要性を、このことわざから学ぶことができます。

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